ハッカのみが残ったドロップ缶を、カラカラと振る。苦手なハッカを残していたら、こんなことになってしまった。カラカラと振って、マラカス代わりにするしか使い道は無いだろうか。しかし、この世には、なんとまあ驚くべきことに、ドロップ缶に入っているドロップすべてがハッカのものが存在するらしい。誰がそんなもの、などと思っていた自分が甘かった。 「な、な、それ、ハッカある? ちょーだい」 「は!?」  こいつは何を言っているのだ、といえばハッカをねだっているのだが、にわかには信じがたい行為だ。 「だからぁ、ハッカちょうだい」 「じゃ、じゃあ、これごとやるよ。ハッカしか残ってないから」 「うそ、マジ? やったぁ」  見事な利害の一致だ。おもしろいぐらいに。 「な。おれさ、これからもオマエと友だちで居られると思うよ」 「おう、ずっと親友だ」  ハッカを得た友人は、ご機嫌だ。 080916 ハッカしか残ってないんだが 誰かもらってください ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  死ぬほど絶望しちゃいないし、死ぬことに希望があるわけでもない。自分で死ぬ気は無いが、もし誰かが自分のことを殺したいほど憎いというのなら、殺してくれてかまわないと思う。生きる理由なんてものはなく、けれど死ぬ理由もないだけで、こんなこといつまで続けるのだろう。  寝返りを打つ。真っ白いシーツに、しわが寄る。 「朝だよ。……眠れなかったの?」  いつもの笑顔。どうして。どうして、笑いかける。 「……殺して」  その白い手に殺められるのなら、最後に見たのがその笑顔だったというのなら、今生に価値があったと思えるから。 「やだよ。僕はお前より先に死んでやるんだ」  そんな科白でも、彼の笑顔が崩れることはない。そうだ、こいつは絶対に、この表情以外をみせない。決して、ニセモノではないはずなのに。 「どうして。どうして、笑ってるの」 「お前と居て、楽しくないはずが無いだろ?」  気づいたら。彼とは違う、青白い手が、彼の白い首に巻きついていた。 「じゃあさ。先に死んでいいから。死んだ後で、おれを殺して?」 「難しいことを言うんだね」 「な、いいだろ」 「バカ言ってないで寝なよ」  この手に、力を籠めたら。この笑顔は、歪むんだろうか。この飄々とした男を、苦しませることができるのだろうか。この手に、力を籠めたら。 「はぁ」  諦めて、手を投げ出すと。のりでパリッとしたシーツにぶつかる。 「おやすみ」 080913 お題/シーツ、なりそこない。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  雨が好きだ。家の中、細く窓を開けて、雨がアスファルトを叩く音に耳を傾けるのが好きだ。 「そっち、雨が降ってるの?」  電話口で問われる。 「ああ、降ってるよ。そっちは降ってないの?」 「うん。からっと晴れてる。残暑厳しい、って感じ」  そうだ、電話の向こうの彼女は、雨をまとった人だった。初めて会った日も、ピクニックに行こうとした日も、そして別れる日も、雨が降っていた。だから雨の日は、彼女を思い出させる。電話をかけたのも、雨のせいだったのかも、しれない。 「雨が降るのは私のせいじゃないわ」 「ええ、そんなことないよ」 「きっとね、あなたと私が一緒に居ると、雨が降るの」 「ふふ、それって少し、ホラー」  いま、あなたは海の向こうに居るのに。 「んー。でも、ほら。心はいつも一緒、ってヤツ?」 「はは」  雨が好きだ。雨の音に悲しくなって泣いたあの日も、雨のせいで中止になった遠足の日もあったけれど、雨が好きだ。 080904 お題/雨の日になりきれなかった ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 雨が降っている。 窓の外、夜の帳も下りた頃。ざあざあと、音を立てて、雨が、降っている。 アスファルトを黒く染めて、街頭の明かりを淡く跳ね返している。 そこに飛び出したい衝動に、耐える。変わりに、アスファルトと変わらないくらいに黒い空を見上げる。雨が降っているんだ、星なんか見えやしない。変わりに、遠くのビルの窓から漏れる明かりが、点々と、少しばかり星のよう。 ぼうっとしていると、雨脚が強くなる。アスファルトを叩いて、夜の空を切り裂く。雨が、吹き込んできた。 走る車のテールランプが、辺りを赤とオレンジに染める。 雨は、止まない。 雨は空の涙だなんて言うけれど、だったら、私の涙は何を濡らすのだろう。 少しずつ、雨脚が弱まってきた。 アスファルトは、黒いまま。 あした、晴れたら。アスファルトは、元通り。雨の匂いも、消える。 そうしたらまた、空は、泣きたくなるのだろうか。 080608 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  卒業したら、もう会えない。そういう約束だった。だって君はそういう境遇の子どもで、だって私はそれに釣り合う子どもじゃなかった。大人でもないけどさ。 「留年してよ」 「そうじゃなかったら退学でもいい」 「卒業しないでよ」  馬鹿なこと言って困らせて。 「ごめんね」 「もっとおれが強くなったら」 「約束なんか破ってみせるから」  ――だから、待ってて? 「君は約束を破るのに、私は君と約束しないといけないの?」 「あは、そうだね」 「待たない。もう会わない。…って約束する。だから破ってみせてよ」 「あは、ウザ」 「ばか」 「おれ、がんばるけど」 「うん?」 「もしも無理だったら一緒に逃げてよ」 「なにから?」 「やくそくから」 ***約束は破るためにあるんだって。 080608 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  少年が駆けた。それを克明に、書き記す。駆け抜けた道、生える草、髪の1本に至るまで、子細に。いつか、少年の駆ける姿を、思い描くために。  少女が笑う。それも、書き記す。少女が作る花の冠、その花のひとひらひとひらまで、文字に変える。これもまた、いつか、少女の笑顔を、思い描くために。  何十枚にもなった。百に及んだろうか。  読む。思い出せる。少年の駆ける姿、髪のなびき。思い出せる。少女の笑顔、冠の花びら。すべて、思いだせる。  何枚も何枚も、書き続けた。いつのまにか、読み返さなくなった。ひたすらに、見たもの聞いたものを、綴り続けた。膨大な枚数に、なった。  めらめら? ぱちぱち? ぼうぼう?  炎の爆ぜる音を表現するとしたら、どれがいちばん適格だろうか。とにかく、燃えて、燃えて。ああ、紙ってこんなにも、脆いんだ。  すべて。ぜんぶ。あとかたもなく。灰になった。  再び、ペンを握る。  悲しいのか。苦しいのか。切ないとでも、言うのだろうか。そのような類いのことは、感じなかった。ただ、紙が燃えて灰になった。それだけのこと。記録がすべて、灰になった。たった、それだけのこと。  再び、ペンを握る。記そう。あの、炎を。あの、音を。すべて。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 「本日のメニューは――」 「ママー、ちりちゃんがいじめるー」 「そうなのよ、まったく、」 「まあ、おいしそう」 「こら、ちりちゃん、やめなさい」 「ええええ、そうよね、やっぱり」 雑音。うるさい。うるさい。うるさい。 静かにしろよ。 雑音にかき消される、旋律。 彼が奏でている、きっと、この星のどこか。私の知らない場所で。 ざわざわ、うるさい。 窓を閉めて、戸を閉めて、テレビを消して。 それでも聞こえぬ、あの音を。 彼のポケットの中、かしゃかしゃと音がする。 「なあに? それ?」 「ん、あめちゃんだよ」 彼が取り出したのは、ドロップの缶。 彼が駆けるたび、その音はして。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ どーん、と大きな音をたてて。空が明るくなる。 「あー、ホラ、 ハートがいがんじゃってる」 「ほんとだねえ」 「あ、今度のはきれいだよ」 「すごいねえ」 「みてみて! あっち!」 「うんー」 どん、どん。大きな音に、ときどき拾えない言葉。適当に返して、空を仰ぐ。 「すごいね。こんな広いそらをさ、キャンバスにして」 「なにポエマーやってんの」 「いや、ごめん。でも、うらやましいなあ」 「なにが」 「だってね、この広いそらを、わたしは仰ぐことしかできないのに、花火は、煙火師は、彩っちゃうんだよ」 大きくなる声。花火の音の中、凛と通る声。 「そうだけど」 「うらやましいなあ」 「ふうん」 ラストスパートをかけるように、いっぺんにあがる花火。 どん、どどん、どどどん、どん。 「いつかこのそらを」 「ん?」 「駆け抜けて見せるよ」 「なに?」 「なんでもない」 うってかわって小さく聞こえづらくなったけれど、少しだけ、拾えたから。 「楽しみにしてる」