それからえんぴつ

家出

 家を飛び出した。ぐちばっかりのお母さんも、仕事しかしないお父さんも、小言しかいえないおばあさんも、ダイキライだ。ついでに言えば、勉強しか教えられない教師も、群れることでしか生きられないクラスメイトも、ダイキライだ。こんなとこ、出てってやる。

 夢とお菓子をポッケに詰め込んで。
 持ち物はこれだけでいいさ。

 ガタンゴトン、電車に揺られてたどり着く先は、どこなのだろう。シックスセンスで乗り継いで、どんどん知る街を離れてゆく。
 各駅停車(カクテイ)の窓の外で、家々が流れてゆく。明かりを灯して、家族が集う家。明かりを消して、シャッターを閉めるお店。色んなものが、窓に映って、消えてゆく。儚い景色。
 すべての駅を忘れずに停まるこの電車は、それなのに急行と行き先がたがわない。ゆっくりだけど確実に、終着駅へと向かうのだ。名も知らぬこの線路の終着駅は、私の行く先は、どこなのだろう。

「ぼく、ひとり?」

 隣の席のおばさんに、声をかけられる。

「え?」

 帽子を目深にかぶっていたものだから、どうも男の子に間違われてしまったようだ。それはどうでもいいけど、心配されるほどチビじゃないぞ。

「えと。ひとりですが、女の子です」

「あらまあ、ごめんなさい。ずいぶんボーイッシュなのね。もう真っ暗よ? はやくおうちに帰りなさいね」

 なんというお節介。まだ8時だ。塾帰りの中学生とか、たむろしているじゃないの。そう思ってあたりを見回すと、ずいぶんと田舎に来ていることに、いまさら気づく。

「……はい。急いで帰ります。ご心配くださってありがとう」

 こんな風に心配されるのは、初めてだ。嬉しいような、くすぐったいような、ふしぎな感覚。
 気にかけあうのは、珍しくないことなのだろうか。少なくとも私は、都会の街でこんなおばさんに出会ったことは無い。私も、こんな風に声をかけたことは無い。土地柄、なのだろうか。
 色々考えていると、おばさんが嬉しそうな声を出す。

「あ、そうだ、おばちゃん、良いもの持ってるのよ」

 おばさんは、かばんの中に手を突っ込んで何かを探し始めた。お目当てのものを見つけて、かばんから出てきた手には、チョコレートがひとつ。

「チョコ…ですか?」

「食べても大丈夫かしら? お母さんにはナイショよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 もらったチョコレートを口に含む。とけかけのチョコレートは、それでもとてもおいしかった。

「えへへ。おいしい」

 ただのチョコレートが、こんなにおいしいものとは知らなかった。チョコレートなんて、いままでいくらも食べたけれど、こんなおいしいチョコレートは初めてだ。何故だろう。パッケージからすると、ごくふつうの、スーパーで大量に売っているチョコレートなのに。私のポッケには、こんなおいしいチョコレートは入っていない。

「まだあったかしら?」

 私の“おいしい”発言に反応して、おばさんはごそごそとカバンをあさりはじめた。今度はみつけられなかったようで、

「ごめんなさいねえ、最後の1個だったみたい」

「いや、そんな! 最後の1個をもらっちゃってすみません!」

 おばさんはそれもそうねと笑った。


「〜終点〜〜終点〜〜お忘れ物のありませんよう〜〜」

 独特の鼻声。終点を知らせる車内アナウンスだ。

「あ、降りなきゃ」

 少し――いや、かなり名残惜しい。いつまでも、電車に揺られて居たいとまで、思ってしまう。

「家は近くなの? 送っていこうか?」

「あ、いえ、大丈夫です」

 おばさんは、最後の最後まで心配してくれるのに、私は嘘をついてしまった。罪悪感が無いわけはない。けれど、いまさらほんとうのことを言う間もなかった。

「そお? 気をつけてね。最近怖い人も多いでしょ。あなたみたいにカワイイ子だったらすぐさらわれちゃうわ」

 男の子と間違っといて…、とは思うものの、それが心からの心配だということはわかるので、思いは秘めておくことにする。


 小さな無人駅には、自動改札機だって無い。私はどこまで来てしまったんだろう。おばさんの姿が見えなくなったのを確認して、私は歩き始めた。
 少し歩いて、町内の地図をみつけた。公園、神社、お寺、いちおう泊まれそうなところはある。人の少なそうなところは――と地図を辿って、小さな“展望台”という文字をみつけた。そこに行ってみることにした。

 てくてく。知らない町なのに、なんとなく道がわかる。もともと方向音痴でないのもあるのだろうが、半ば導かれるように歩いてゆく。
 急に、視界が開けた。

「わあ――」

 小さな星。トウキョウでは影すら見せなかった星が、いまはきらきらと輝いている――。

 ――帰ろうか。嫌いな人たちが集う、あの街へ帰ろうか。星も見えないあの街へ帰ろうか。今なら、まだ電車もある。日帰りの家出なんて、情けないにもほどがある。だけど、帰りたいと思う。自分の家へ。
 私はこの名も知らぬ町で、優しさにとけたチョコと輝く星をみつけた。それだけで、じゅうぶんじゃないか。

2007年7月10日 野津希美

あとがき

でぃあ もん太さま!
お、お待たせいたしました。
「家出」をテーマに書かせていただきましたが、いかがでしょうか。
いろいろな思いを詰め込もうとしたのですが、なんだか容量オーバーです。悔しいけれどこれが精一杯です。
改めて、200HIT、ありがとうございました!
こんなものですが、もん太さまに捧げさせていただきます♪