それからえんぴつ

餅つき

死する先には一体、何が存在するのだろう。天国、地獄、神様、閻魔様。色んな話があるけれど、本当の話はあるのだろうか。ないかもしれない。だって、確認していないから。死ななければ、死する後のことなんてわからないし、死んでしまったら、死する前の者に死する後のことを知らせることなんか出来やしない。つまるところ、死する先に存在するモノを確認するには、死ななければならない。死んでみて、ああやはりやめておけばよかった、なんて生き返ることも出来ない。
…何を悩んでいるんだろう。
死にたい、わけではない。ただ、死する先に存在する何かを、知りたい。それが何であるかを、確かめたい。それだけのことなのに、とても難しい。死、とはとても重たいこと。この世界の秤でははかりきれないぐらい、重たいこと。
色々と「生」や「死」を語るものはあっても、それが事実であると裏付けるものは無い。少なくとも、納得できるものは存在し得なかった。だって、全て、生きている者が語っているんだ。生きている者に、死する後のことなんて、わかるはずがない。知ることなんて、出来ないんだ。
カミサマだって、居るのかもしれないけれど、見たことが無い。何をしているのかも分からない。世界をお創りになったのも、カミサマかもしれないけれど、世界が創られた瞬間を目撃したわけではない。
つまり何が言いたいかというと、知らないことを知りたいと思うけれど、それはとてもじゃないが無理なので、歯がゆい思いをしているのだ。

自室に居た姉に、質問を投げかけてみた。
「人って、死んだらどうなると思う?」
「消えてなくなっちゃうんじゃないの。タマシイとか、そんなの信じてないんだよね。体が消えたら心も消える。天国も地獄も無いんじゃないかと思うけど。それがどうかした?」

そういう考えも、あるんだろう。でも、それは不安だ。死んだら、消えてなくなってしまう。そんなの、あんまりだ。天国は、存在しないとでも言うのだろうか。存在する確証は無いけれど、だったら何故ここまでに、死んだら天国へ行くのよって話しが広まっているのだろう。やはり、何かしらの根拠あってのことなのではないのか。
例えば、幽霊だとか、心霊写真だとかは、死んだ人が成仏できなくて、というのを聞いたことがある。心霊写真には確かに怪しげな影があって、ヒトの形に見えないことも無かった。それが死んだ人間の形だとしたら。

「ただ…死んだら、どうなるのかなと、気になってさ」
「ふうん?」
「えっと…お姉ちゃんが言うようにタマシイとかがないとしたら、心霊写真とかって一体何?」
「あんなのデタラメよ。光の加減とか、レンズの汚れとか、そんなんが映ってるだけよ」
「じゃあ、どうして、これは悪霊がなんとかかんとかって言えるの?」
「ヤラセじゃないの? 知らないわよ、番組制作の裏側なんか」
「そうじゃなくって…ああいう写真が、死んだら成仏したりしなかったり、地上で写真に映り込んだりする、証拠にはならないわけ?」
「確かに、映ってるのは幽霊さんかも知れないわよ。でも、そうだっていう裏づけは無いじゃないの」

お姉ちゃんは、自分とは違う視点で「死」を見ているんだ。死は、姉にとって、消えることとイコールなのだ。だからこそ、今を大切に、なんてことが実行できる。
でも、それは姉の話。姉とは違う自分。死は、タマシイは、天国は、そういうものが存在する所以は、どこにあるのか気になるし、自分に降りかかったらどうなるのかと不安になる。姉は、今を大切にしているから最たる問題ではないかもしれないけれど、今を大切にする方法も分からない自分にとって、死はとても大きな問題だった。

「お姉ちゃんは、死ぬのってこわくないの?」
「そりゃ、こわくないっつったら嘘だろーけど? でも、今、生きてるしね…」
「そっか」

姉と、自分の、決定的な違い。それは小さいようでいて、とても大きく見えて、でも実際にはどうなのか分からなくて。
ああもう、考えることがいっぱいでイヤになっちゃうよ。

「ありがとう。もうちょっと考えてみる」
「うん」

姉の部屋を出、自室へ戻る。

結局は、死ぬのが、怖いのだ。だから、死んでもつらいことなど無いという確証を求める。例えば、現世でよい行いをした者は天国へ行けるだとか、そういう。もし、それが確かだと分かれば、よい行いをする。後で悔やまぬために。しかし、そんなことは死ななければ分からなくて、けれど、もし違ったら。生き返ることなど出来ない。やり直すことなど、出来やしないのだ。けれど、いずれは死す時が訪れる。そのときになって、死んでしまった後になって、よい行いをしておけば良かったなどと嘆くのはイヤだし、そもそも、死がこわい。死んでもつらいことなど無いという確証は、どこにもないのだ。それなのに、必死にあがき、求める。恐怖から逃れるために。よい行いをしたからといって、恐怖がなくなるわけではない。それよりは、確証を求め続けるほうがはるか楽。
ぐるぐるとめぐる思考。

窓の外、まん丸なお月様で、ウサギが餅つきをしていた。

2007年4月20日 野津希美