それからえんぴつ

ナメクジな恋

うーわ、かっけえ。

 彼女(リツコという)は、チューリップの球根を求め、花屋のある市街を歩いていた。すると、目の前に美形の男の子。少女漫画なら次の日に主人公(この場合はリツコ)のクラスに転校してきそうな顔。きっと顔だけじゃなく頭も良いのだろう。そんでもってスポーツも万能なのだろう。リツコは面食いでは無いが、その男子をかっこいいと思う程度の女の子は持ち合わせている。
 しかし、物語は漫画のようには進まない。進んでも良いけど、進まないのです。

「リッちゃーん」
 リツコが、友達のナミちゃんの家で漫画(ナメクジな恋という怪しげなタイトル)を読んでいたときのことである。
「昨日は市街に行ったと聞き及びました! 戦利品を頂きたく思います!」
「いや、戦ってないし」
「オミヤーゲ!」
「いや、買ってないし」
「はああああ!?」
 別に、市街はテーマパークではない。ふつう、お土産など買わないだろう。つまり、ナミちゃん流の冗談なのである――たぶん。
「その代わりにね、土産話を持ってきたの」
「言ってみ。後悔してもしらないけどな」
「じゃあ言わないわぁ。絶対後悔するもん」
「言わんで後悔しないんですか?」
「――あのさあ、どっちの答え望んでんの? 後悔しろって命令してんのか?」
「土産買ってこない、お前が悪いんだろーが」
「そーかなあ」
「で、言ってみ。聞くだけ聞いてやるわ」
 一部始終を話す。といっても、「街をかっこいい男の子が歩いて居たのでーす」の一文で済んでしまうのだが。まあ、とりあえず、一部始終を話し終える。すると。
「あのねぇ、それでリッちゃんは後悔しないワケ? かっこいー男子居(お)ってんで? ほっといていいの?」
「別に面食いじゃないですから」
「面食いとか関係ないでしょ! そーゆー子見かけたら惚れるっつーんがパターンじゃんか」
「どうでもいいことだけれど、怒ると言葉遣い荒いよね」
「ほっとき! とにかくな、偶然の出会いで一目ぼれしなきゃいけないの。分かる?」 
「はいはい。私がわるぅござんした」
「わかりゃ良い」
 そしてリツコは漫画に視線を戻す。

 ナメクジな恋は、ナメクジと関係なく始まった。普通の(と判断して良いのかは、そこまで漫画を読まないリツコには分からなかったがたぶん)少女漫画。引きこもりっぽい主人公。かっこいい男の子に、かわいい女の子。交錯する恋愛模様。色々なイベントやハプニング。嫌いではない。だが、どこがナメクジだというのだろう。気になってどんどん読み進めた。そういえば、運命も出てきていない。
 ナメクジは、進化の過程で殻を失ったカタツムリだという。それには少し驚いた。殻のないデンデンムシみたいだとは思っていたが、まさか進化系だったとは(笑うところ)。つまり、デンデンムシみたいな主人公が、男の子に惚れたことをきっかけに、殻を無くしてゆく、という話なのだった。また、殻を持ったのも、それを失ったのも運命だと語られている。
 最後はハッピーエンド。
「ふむー。ナメクジには正直ちょっと引いたけど、面白かった」
「でしょでしょ」
「この人の漫画、他にもある?」
「あるある」
「貸してちょーだいな!」
「はいはい」
「どもども」

 ナメクジ、か。ならば自分は、固い硬い堅い殻を持ったデンデンムシだな。特に、こと恋愛に対して。

 あれは、いつの日だったか。すっころんで怪我をした私。でも、保健室へ行くのは嫌だった。先生は怖いし、何よりあの匂いが大嫌いだった。
 そこに手を差し伸べてきた彼。「だいじょうぶ?」うん。「ほけんしつ、ついていこうか?」ううん、だいじょうぶ。「ほんとにだいじょうぶなの?」こんなのすぐなおっちゃうよ。「あ、せんせー! リツコちゃんがけがしてまーす」――。
 結局、大嫌いな保健室へ連れて行かれて。でも、何故か平気だった。
 それ以来。彼の影を追いかけ続けた。クラスが変わっても、始業式やらなにやらと、全校生徒が集まる機会を探しては、彼を探し続けた。そして。最高学年にあがった年、彼と同じクラスになった。でも。あの頃の優しい彼はどこにも居なかった。リツコのことすら、覚えていなかった。
 勝手に焦がれていた自分が悪いのだろうか――。
 そして時は過ぎ、卒業。以来、恋はしていない。

 もし。ナミちゃんの言うように、あそこで一目ぼれしていたら。一目ぼれできていたら。私はきっと、デンデンムシなどやっていない。

 家へ帰り。球根を植える。どれくらいで咲くのだろう?
 きっと、咲くのは黄色のチューリップ。実らぬ恋。

 でももし、赤いチューリップが咲いたら、殻を破ってみよう。
 市街の彼を追い求めて、駆けずり回ってみよう。

2007年5月2日 野津希美

あとがき

チューリップの花言葉を知りまして、書きてえと思ったは良いものの…。