それからえんぴつ

ブレザー

「誕生日、何が欲しい?」

 いよいよ授業も終わり、時間割を写して、さあ部活だ、という頃。クラスの喧騒の中、ナミは、カラーペンのじゃらじゃら入ったペンケースやら、ぐちゃぐちゃになったプリント類やらを、カバンに詰め込みながら言う。水筒が邪魔そうだ。

「おまえ」

「300円くらいまでなら買ってあげるよー」

 詰め込み終わり、ぐいぐいと、カバンのチャックを閉める。

「無視かよ。ってか安いな」

「今月、マリナも誕生日なの」

「まあ、金額じゃ無いけど……ってかそんな切羽詰まってんのに、プレゼント貰っても嬉しくないって」

「だよね。じゃ、悪いけど、期待しないどいて」

 そう言って、前を向くナミ。男女、似せたデザインの制服。そういえば、どこかのカップルが、ブレザーを交換してたっけ。ナミは、ちょっと羨ましいなあ、でもさすがにうざいよなあ、なんて、そんなことをとりとめも無く考える。べつに、そういうことをしたい相手が、今現在居るわけでもないけれど。
 ナミとヒロユキは、いわゆる、幼なじみ……というか、腐れ縁のような関係で。初めて互いの存在を知ったのは、小学校に上がったとき。隣の席になった。そのあとも、2年生、3年生、4年生と、順調に同じクラスになった。その後、ようやくクラスが分かれたと思ったら、進学するときにまた一緒になった。制服を着た姿を互いに見て、最初は分からなくて、でも何故か、隣の席だった。

 あるとき、マリナに言われた。

「ねえ、とっとと付き合っちゃえば?」

 そう言われても、ナミは、ヒロユキのことをどう思っているわけでもない。ヒロユキはときどき、さきほどのように、おまえかわいいよなあ、だとか、そんなことを言うけれど、上手いこと“冗談”としてしまえる状況を選んでいるのだ。だから、結局ナミとしても、冗談なのだと思い込むほかない。もし好かれているとしても、自分は、応えられないと、そう思う。
 ナミがそのようなことを伝えると、

「え、そうなの? じゃ、うち、狙っちゃお」

「止めときぃ。あんなんうざいだけだよお……」

「何言ってんの。あんなカッコいい仔、他に居ないじゃん……!」

 キラッキラ光るマリナの目を見て、ナミは、苦笑するしかなかった。

@@@
「ハイ。誕プレ」

 何やっているんだろう、とナミは思う。私が? こいつを? 少しでも意識してる? 確かに、嫌いじゃない。何だかんだ言って、6年来の付き合いだし、多少気心も知れている。気を使わないで済む。気の置けない友人、という奴だ。好きとか、嫌いとか、そういうものじゃない……と思う。じゃあどうして、誕生日プレゼントまで用意して、こうして手渡しているのか、というと、ナミは答えを持ち合わせては居ないのだけど。
 放課後、教室。ナミはヒロユキを呼び止めて、小さな包みを手渡した。

「あ、ありがとぉ。何コレ? 開けていー?」

「いいよー」

 中身は、無難にハンドタオルである。ヒロユキはバスケ部だから、使い道も無くしまわれることは無いだろうという判断だ。もしヒロユキ本人に使われなくても、タオルならいくらでも使い道がある。雑巾にしてくれたっていい。

「お、タオルか。普通に無難だな」

「タオルって高いんだよ。結局500円くらいかかっちゃった」

「そらおーきに」

 ――べつに、雑巾にしてくれてもよいと思っているのも本音だけど、できることなら使ってくれたら嬉しい、というのも本音だ。

「でも、嬉しいわ。くれると思って無かったし。ヨシクラの分は大丈夫なのか?」

 ヨシクラ、というのは、マリナの苗字だ。

「大丈夫。なべさんたちと買うことにしたから」

「わざわざごめんなー。ちゃんと使うから」

「うん」

「じゃ、おれ、行くな。ほんと、ありがとー!」

「どういたしましてー。倍返し期待してるよ!」

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 それからしばらくたった、ある日のこと。ヒロユキは、ナミを呼び出した。目的? ひとつしかない。

「好きです。僕と付き合ってください」

 なんでこういうとき敬語になるんだろう、と頭の片隅で思う。――もし好かれているとしても、自分は、応えられないと、そう思う。好きとか、嫌いとか、そういうものじゃない……――あのときと、考えは変わっていなかった。

 つぎの日、その話を、マリナに愚痴った。

「…私は、あいつのこと、クラスメイトとしか思ってないの。嫌いじゃ無いんだけど、だから、困る。ただのクラスメイトとして、ちょっと仲良くしたいだけなのに…」

 それに対して、マリナは、そうだよね、困っちゃうよね、なんて、言っていた。こういう愚痴は往々にして一方的なもので、「そのときはこうしたほうが良かったんじゃない?」なんてアドバイスされるよりも、そうだよねと肯定されることを求めているから、それで問題なかった。――はずだった。
 問題は、それから半月ほどたった日に起こった。授業が終わって、教室を出て行ったヒロユキは、けれど、バスケ部のほうとてんで反対方向へ向かっていった。なにかしら、と思ったけれど、それを追う気はなかった。ただ、ナミの行き先が、それと同じだっただけだ。
 視界の中には、ヒロユキ――と、マリナ。どう考えても、“呼び出した”状況でしかない。マリナは小柄で、だから、同じ制服がすこし違って見える。“守りたい”とかいわれるタイプなのかもしれない。

「前から好きでした、付き合ってください」

 お決まりの文句に、肯定の意を示すヒロユキ。堪らず、逃げ出した。このときも少しだけ、何故敬語になるのだろうと思った。

 …ちくしょう。
 心の中で、悪態をつく。
 いっそのこと、ずたずたに傷つけてくれたら、それで、嫌いになれるのに。なんでそんな、半端なこと、するんだよ。
 もちろん、ナミはヒロユキの告白に対して、NOと返してしまったのだから、ヒロユキとマリナが“付き合う”のは、しかたないことかもしれない。マリナだって、ヒロユキが好きだとか言っていた。けれど、だからって――。

 それから、ナミとヒロユキの会話は無くなった。もともと、さほど多くは無かったが、ナミのほうがあからさまにヒロユキを避けるようになったので、文字通り、無くなった。反して、マリナとヒロユキはどんどん引っ付いていった。だから、ナミとマリナの距離も広がった。もうどうでも良かった。面倒くさかった。早く卒業して、高校行って、とっとと今のことなど忘れてしおうと思った。勉強に打ち込んだ。
 それでも、ヒロユキのことは、嫌いになれなかった。だから、もっとつらかった。

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 ――あいつら、別れたらしい。
 そんな話を聞いた。ついこないだまで、高校は一緒のとこ行こうねとか、卒業したら結婚するとかしないとか、そんな話まで――教室で――していたというのに、である。案の定、もろい。
 ただだからといって、ナミとヒロユキや、マリナの仲が元に戻るかというと、そうではないのが、非常に面倒くさいところだった。なんでこんなに面倒なんだろう。女同士だとこんな風に簡単に友情は裂けるし、男女だったら好きだの嫌いだの色恋沙汰に持ち込みたがる。そして、くっついたと思ったら、とっとと別れてしまうのだ。
 ただ一緒に居て楽しければ、それだけでいいじゃない。一緒に居て楽しい人と一緒に居られれば良いじゃない。そういう、単純なことじゃないの?

 結局、卒業まで、裂かれた仲が元通りになることは無かった。進学先では、こんなこと無いようにしよう、と思う。ひとりの人に入れ込まなきゃいい。その場限りで、てきとうに。入れ込まなければ、裂かれても、痛くない。
 だから、きっぱりけじめをつけてしまおうと考えた。いつまでも嫌いになれなかったあいつを、忘れてしまうために。

「第2ボタン、欲しいんだけど」

 そうすれば、思い出になる。思い出にして、美化して、忘れてしまって、ふと思い出しても、つらくないようにできる。ナミはそう考えた。

「……いいけど、」

 いままで、こちらから話しかけても無視されるばかりだったというのに、あまりに唐突に、第2ボタンなど求められたものだから、ヒロユキは面食らってしまう。そして、少しずつ状況が飲み込めてきた頭で考える。マリナとも別れ、他に好きな子も居ない今、あげてしまってもいいか。いや、それより。

「ブレザー、交換しない? もう着ないし、バレないでしょ?」

 ああ、それは考えていなかった。

「…いい思い出になるわ」

 ナミは、受け取ることにした。

@@@
 ヒロユキも、マリナも、ナミも、それぞれ別の道へ進んだ。互いに、連絡を取り合ったりはしていない。ナミの狙い通り、思い出になった。いつか、こんなこともあったのよと、誰かに語る日が来るのだろう。
 自分のものではない制服が、押入れの奥、眠っている。

2008年6月30日 野津希美

あとがき

 えーと、クラスのバカップル(それこそ、結婚だとかそういう話をしていた)が、「ほかに好きな人ができたの」っつって別れた、という話を聞いて、ああ私はまだ恋愛とかいいや、漫画読んでよう、と思った奴の、文章です。好きとか嫌いとか、そういう、小難しいこと考えるより、とりあえず、一緒に居て楽しい人と一緒に居られれば、それでいいです。
 学校というのは、例えば出会いと別れだとか、例えば毎日あそこへ行けばあの子に会えるだとか、例えば憧れの先輩と同じ制服だとか、創作的にはすてきなものであふれているなあ、と思いました。