それからえんぴつ

オレンジジュース

お金を入れる。100円玉が1枚と、10円玉が2枚。
オレンジジュースのボタンを押すと紙コップが落ちてくる。その中に氷が投げ落とされる。ガラガラガラ。最後にオレンジジュースの原液と水が投入されて出来上がりという寸法。
ありふれた自販機は、なぜか図書室を出てすぐのところにあり、だから私はそれを毎日のように利用していた。休み時間の図書室通い。その帰り道は借りた数冊の本となにがしかの飲み物、それからトーヤマがお供だった。

「それ、前にマズイって騒いでた奴じゃねえの?」

氷でかさまされた、色の濃いオレンジジュースをみてトーヤマが言う。

「そうだけど?」

確かにこの前、このオレンジジュースに対してマズイと言ったのは事実だけれど。

「いや、なんでわざわざマズイもん買うのかなぁって思うじゃん」

「マズイのと、嫌いなのは別だよ」

例えば、好きな教科と得意な教科が必ずしもイコールじゃないのと同じように。
例えば、……トーヤマのことを嫌いじゃないのと同じように。

「ふうん?」

トーヤマは納得したのか否か、しばらく不満げにしていたけれど、教室のある棟へと向かう渡り廊下にさしかかった辺りで不意に、

「マズイ、もう一杯! ってやつか」

と、指を鳴らした。

「青汁ほどマズくないと思うけどね」

ストローで氷をかき回す。カラカラカラというこの音が好きだった。それは、ペットボトルを落とす自販機ではなくて、紙コップ式の自販機を利用する理由のひとつだった。

もうすぐ5限も始まるというこの時間に、わざわざ教室棟から図書室へ向かう人影があると思ったら、カップルだった。男のほうが女の肩を抱いて歩いている。ふたりでサボって何をするのだろう。けっ。なんて思ってたいたらトーヤマも、

「あーあー。俺のサンクチュアリで何すんだろ」

なんて言うから笑ってしまう。笑って、その拍子に言うつもりのなかった言葉が口から転がり落ちた。

「でもさあ、私らふたりで歩いてたらカップルに見えるよね」

カラカラカラ。誤魔化すように、何でも無いことだというように、氷をかき回す。氷もだいぶ溶けてきて、濃いだけのオレンジジュースが薄まっていく。

「あー。言われるなあ、確かに」

私とトーヤマは付き合ってなんかない。
ただ本の趣味が合うから一緒に図書室へ行って、好きな小説が映画化すれば一緒に劇場へ行ったりもする。それを世間一般には“付き合っている”と言うらしい。手も繋いでいないのに。

「トーヤマのことは嫌いじゃないけど、付き合いたいとかは思わんよ。トーヤマ、身長無いもん」

「言ってろ。こっちだって、お前なんか願い下げだ」

カラカラカラ。すこしずつ、でも確実にオレンジジュースは薄まっていく。

「でもトーヤマにかわいいカノジョができて、そんで今までみたいに話ができなくなったら、嫌だ」

「なにそれ、コクってんの?」

私は、物語の恋はいくらも読んできたけれど、実体験は全くと言っていいほどない。願望も無い。さっきのカップルなんかを見ても、けっ、とは思うけれど、自分で演じたいとは思わなかった。今はあんなにひっついていても、そのうち他人同然になる。あっけないのだ。物語とは違う。

「じゃなくて。ずっと今まで通りで居たいというか」

“付き合っている”のならずっと一緒にいられる、というわけじゃない。もしそうなら、私はとっくにその大義名分に浸ることを決めて、永遠に安堵していられた。でもそうじゃない。卒業したら今までのように会うことはなくなるし、ずっと先のことだろうけれどお互い誰かと結婚もするだろう。

「ふうん」

トーヤマと、ずっと、親友みたいにして、いつまでも話をしていたい。だって、カップルなんてすぐ別れる。そんなあっけないものじゃなく、もっと長く続く形で、トーヤマと居たいと思った。

教室に着く。
私とトーヤマの席は離れているので、ここでお別れだ。話も終わり。
飲みきれなかったオレンジジュースが薄まって、放課後には氷は消えてなくなっていた。

2010年1月18日 野津希美

あとがき

だんだん薄まってくのが嫌なので一気に飲みます。氷はガリガリします。
カラカラするのも好きだけど、薄まっちゃうぐらいなら、とっとと飲んじゃう。