それからえんぴつ

レッテル

 ウワサでは、ひどい言われようだった。先生を殴った、窓ガラスを割った、学校サボった、授業受けない、机に足のせる、万引きした、少年院行きかけ た……。どこまでがほんとうで、どこまでが嘘なのかはわからない。けれど、ずいぶんこわいひとなんだろうと思っていた。明知周平(メイチシュウヘイ)とい う名は、その学校に通う者なら誰でも知っていたし、その名を持つ者を恐れるべきだと感じていた。

 明知周平。第一印象、ウワサ通り。

 最終学年の夏のこと。プールの日、うっかり熱を出してしまった。休むほどでもないが、炎天下で見学はきつかろうという配慮で、保健室で休ませてもらえることになった。
 ――保健室に行って、とても驚いた。いつもと変わりなく、机に向かって書類を整理している養護教諭の先生。それと――

「あ、仲間。おまえも留守番?」

 明知。

「あ、ハイ。37度キッカシ…」

 ちょっと焦りながらも何とか返事。

「俺はさーなんかー何かうっかり春の検査忘れたらしくてー再検査の金も無いんだとー」

「へ、へえ」

 いきなりそんな家庭事情持ち出されても困る。

「まぁ、プール好きじゃねぇからいいんだけどな」

「どうして?」

 できるだけ当たり障りのないように…。怒らせたらどうなるか分からない。

「あ? 別に泳げねぇわけじゃねぇよ。わざわざ流れるプールで遊んでもつまんねぇの」

「泳げ過ぎちゃってつまんないのかあ。私にはわかんないや。カナヅチだから」

「え、ダッセ。泳げないのかよー」

「すみません…」

 ひどいなあ。女の子相手に、ダサイはないでしょ。

「こらこら、明知くん。口が悪いぞ。っと、碓氷(うすい)さん、どうぞ座って」

 養護教諭の三浦先生が明知くんをなだめる。もう少し早く助け舟くれてもいいんじゃないですか。複雑な気分になりつつ、保健室のベンチ的なものに座った。

「ふいー。でさ、俺さ、万引きしたことあんの! 5回ぐらい。でもさぁ、全部空箱なんだよね。つまんねぇの」

 明知のが先に来ていて、三浦先生と話をしていたみたいだ。万引きって、おい。

「こらこら。万引きは犯罪だぞ」

「もうしてねぇよ。今までのも全部失敗。成功したのは10円ガムだけだな」

「…もお。ナイショにしといたげるから、もうやめなさいよ?」

「あい」

 なんかやけに仲良いな、このふたり。

「…仲、良いですねえ〜」

「そうなのよ、聞いてよ碓氷さん。明知くんったらね、コクゴのたんびに保健室来るの。すごいわよね、コクゴの時間には必ず頭が痛くなるの」

 三浦先生、やれやれのポーズ。

「それはスゴイ! 私もその能力ほしい〜!」

「はん。誰がやるもんか。でも案外簡単なんだぜ。教えてやらんことも無い」

 あれ?

「明知ってさぁ、センセ殴ったことあるってマジ?」

 明知、マジでそんなこわい奴なのかな?

「あ〜。マジっちゃマジ? ねぇ、さおりぃ」

「…さおり?」

「先生を下の名前で呼ぶな、呼び捨てにするな。……そおねえ、めーちくん、永田先生殴ったっけねえ」

 どうやらさおりというのは、三浦先生の下の名前のようだ。知らなかった。ほんとうに仲が良いんだな。

「でもさあ、あれは事故っつうかー。おれに非はないっしょー」

「事故? どゆこと?」

「ンとねえ。碓氷さんも知ってるでしょ。永田センセ、あんま……うーんと。その、ねえ?」

「ああ、知ってます」

 永田先生のウワサには、良いものがひとつもない。厳しい、人の話を聞かない、ウザイ、生徒を泣かす、宿題多すぎ、説教長すぎ、えこひいきひどすぎ。

「そいでね、女の子泣かせたことがあったの。一方的に怒鳴りつけてね、あとあと問題になったんだけど、知らないかしら?」

「あ、ちょっと聞いたことある。お母さんが何か言ってました」

「そのとき、明知くんがいろいろしてくれたのよ? 最終的には殴っちゃったわけだけどさ。なんていうかね、泣いちゃって話せない女の子の代わりに、色々永田先生に言ってくれたみたいなの」

 明知が下を向いている。……照れてる?

「でも、永田先生はぜーんぶ突っぱねてしまって。まあ、そのあとは察しがつくわよね。もともと、明知くんはこわいって思われてたでしょう。ウワサに尾ひれがついちゃったのよ」

「…そう、だったんですか」

「めーちくん、あなた、もうちょっと良い子にしてたら良かったのに」

 そういって三浦先生はからからと笑った。明知は、何も言わずに下を向いていた。

続く

2007年7月15日
2008年5月3日一部改訂 野津希美