それからえんぴつ

レッテル

 それから、廊下や通学路で明知を見かけるたび、複雑な思いに駆られた。明知は、いつもひとりなのだ。どうして? 明知がこわいから? ねえ、ほんとうに?
 話して初めて知った。明知はウワサほど悪い奴じゃない。悪いことはしてるけど、良い奴なんだ。どうしてみんなはそれを知ろうとしないの。どうして悪い奴ってレッテルを貼るの。
 悲しくて。悔しくて。そんなレッテルで、明知というひとを判断していた自分が恥ずかしくて。ねえ明知。あんたは自分のレッテルに、何を思う?
 私にも、レッテルは貼られてる。おとなしい子、ごくふつうな子、やさしい子、誰とも仲良くできる子、元気な子、勉強のできる子。知らない。何も知らない。背中に貼られたレッテルは、自分には見えない。

「みうらせんせえ…」

「あら、碓氷さん、どうしたの?」

「すっころんで…全治2ヶ月です…」

 学年対抗のドッヂボール。ひとり外野に居る明智に気をとられて、思いっきりすっころんでしまった。

「んー。まあ、跡は2ヶ月くらい残るかもわからないわね」

 治療を終えた先生は、私の冗談に乗ってくれた。それが少しだけ、私の口を緩めた。

「あのう、先生」

「ん? なあに?」

「明知って、」

 …言えない。

「…何でもないです。ありがとございましたっ」

 頭を下げて。痛い脚引きずって。保健室を飛び出す。

「碓氷さんっ」

 先生の声が追っかけてきたけれど、止まれなかった。
 私は何を言おうとしたの。わからない。明知って、悪い奴なんですか。明知って、なんであんなウワサたてられてるんですか。明知って、自分に貼られたレッテルをどう思ってるんですか。

 色々悩みつつも、楽しい小学校生活。修学旅行は友達と存分に騒いだ。
 そして、卒業。中学生に、なった。格段に難しくなった授業、定期的に行われるテスト、きつい部活。いろんなものに追っかけられた。忙しくて。でも楽しくて。忘れてたんだ、明知のことなんて。だからそれを聞いたのは、もう夏休み間近のことだった。

「明知、学校来てないらしいよ」

「え? 登校拒否?」

「じゃなくて、先生がキレて教室立ち入り禁止なんだって」

「え。マジで?」

「うん。まあ、悪い奴だしね。当然かも」

 ――そんなこと無いよ!

「今はフリョーやってるらしいよ」

 ――なんで。なんで。なんで!
 明知は、良い奴だ。ほんとのほんとに、良い奴だ。少なくとも、ウワサよりはるかに良い奴だ。なのになんで、先生に嫌われなきゃ行けないの。学校にすら、来させてもらえないの。
 ……会いに行く。明知に、会いに行く。だって、このまんまじゃおさまらない。このいきどおりはおさまらない。

「先生! 明知に連絡物とかありませんかっ!」

「…え? あ、うん。無いことは無いけど」

「わたし、届けます!」

「いや、いいよ。どうせ明知、来ないだろうし」

「“だろう”はいけないんですよ。来る“かもしれない”じゃないですか」

「来ないよ」

「とにかく、連絡物、下さい」

 なんでだよ。理解できないよ。明知は来ないんじゃなくて、来られないんじゃないの? お前が、来られないようにしてるんじゃないの?

 無理やり取り上げた明知への連絡物。それを持って、明知の家に向かった。友達の家の近くということで、苦労せずにみつけることが出来た。小さなアパートメント。コーポというほうが近いかもしれない。よし、ここまできたんだ。

 ピーンポーン ピーンポーン

『はい? どちらさまですか?』

「あ、私、明知くんと同じ中学の碓氷っていいます。明知くんに連絡物持って来ました」

『え、碓氷?』

「あれ。明知?」

『うん、めーちくんですよ。何か用?』

「だから連絡。出てきてよ」

『…おう』

 玄関を開けた明知は、以前とちっとも変わっちゃいなかった。

「久しぶり。はい、これ」

 とりあえず連絡物を押し付ける。

「さんきゅ。んじゃ?」

 引っ込もうとする明知を引き止める。

「あの、サ。ちょっと聞きたいこと、あるんだよね」

「あん? なに?」

「なんで……なんで、」

「学校来ないかってことか? ンなの決まってんじゃん。立ち入り禁止だから。ソンダケ」

 さらりと言ってのける。

「……そっか…。それで。それで、えっと」

「別に学校行ってないだけで悪いことはしちゃいねーよ。ヒキコモリって奴だな」

「ほんとに? フリョーだとかなんだとか、色々聞いたよ? ほんとに、」

「なんにもしてない。ま、信じてもらえなくてもカンケーねーけど」

 諦めたような、顔。

「ごめん。明知ってなんか良い奴っぽいからさ。もしほんとに……そんなことしてるんなら、なんか悔しいなって思ってさ。それならいいんだ」

「そう?」

「うん。でも、ガッコには来て欲しいかな。だってさ、あんな先生に負けちゃうなんて、すごく悔しいって言うか…」

「負けた、のか。違うだろ。あっちが一方的に仕掛けてきて、一方的に勝ち誇ったような顔してるだけ。俺は何も、」

「明知がそう思ってても私にはそうは見えない! だって明知、学校に来て無いじゃん! 確かに明知に制服は似合わないよ。でも、そうじゃなくて、明知は自分の意思で学校に行かないわけじゃないでしょう? 来るなって言われて、それに従ってるんでしょう? それってオカシイじゃん。ぜったいオカシイよ。明知は、学校に行かないの? 行けないの?」

「……行かな…」

「違う明知は行けないんだよあんな風に言うヤツが居て行けるわけ無いじゃん!!」

 私だったら、「来るな」って言われてのこのこ行ったり、出来ない。明知だって、そうでしょ。

「そう、だな。でも、どうでもいい。ほっとけ」

 ほっとけるわけ、無いじゃん。勝手にレッテル貼られて、先生にまでそれで判断されて。かわいそうって思うのは、おかしいことなの?
 でも私には、そこまででしゃばる勇気は無かった。

「明知が、いいならいいんだけどさ…。ごめん。なんか。ごめん」

「いや、いいけど」

「来年…」

「あ?」

「来年、同じクラスになったら。学校、来てくれない?」

「なんで?」

 たぶん、きっかけって必要だから。もしこれが、きっかけになれば。

「ん。なんとなく」

 そう、なんとなく。

「ばっかみてえ…。いいよ、行ってやる。ぜってえならないだろうけどな」

「何を根拠に」

「俺様のカンは外れたことがねえ。それでも良いなら約束してやる」

 差し出される小指。

続く

2007年7月15日 野津希美