それからえんぴつ

太陽

「利香は、ひどいね」
留美奈が言った。和人は無表情を崩さなかった。

休日の午後。ばったり出会ったふたりは、他愛も無い話をしていた。今日はいいお天気ね。そうだな。明日も晴れると良いわね。何かあったっけ。天気予報はどうだったかしら。
会話は途切れ、それでも帰り道は同じだから、ふたりは同じ道をゆく。まっさおだった空が、だんだんと赤くなっていくのを見て、留美奈はとうとつに言う。
「利香は、ひどいね」
「は?」
「利香は、ほんとにひどい。それでもね、太陽なの」
「ふうん?」
「そして私は、太陽をみつめるあまたのひまわりのなかのひとつでしかないのよ」
「へえ」
「あーあ。こんなこと、いい加減やめてしまおうかしら」
「そんなもんなのかよ?」
「もちろん、違うわよ」
きっぱりと否定する言葉。それはとても危険なもので、それでもこの場で使うのは、留美奈にそれほどの思いがあるからだ。
「じゃあ、なんで」
「ん。高野くんなら、忘れさせてくれる? あなたなら。あなたなら、太陽なんてどうでもいいって、思わせてくれそうね。太陽さんとは、どう考えても違うもの」
和人は少しだけ目を見開いて、それをもとにもどして言う。
「悪ィけど。ご存知のとーり、俺ァ太陽とは違う。お前ごときに光なんか振りまけない。むしろ、ひまわり側の人間なんだよ」
「…そっか。あーあ。利香って最低」
「…んだな」
太陽はそろそろ、しずむ。

それから、しばらくしてのこと。利香はいつものように、愛嬌を振りまいている。
「あ、留美奈〜! っはよ〜! 和人もはよっ」
「おはよう」
「おう」
「あ、なっちー、ねえねえ、昨日のあれ見たぁ?」
留美奈に笑顔を向けて。和人に笑顔を向けて。でも、それだけじゃない。だれかれ構わず、その笑顔を振りまき続けているのだ。
「あ、ねえねえ、かずひと」
「あん」
「今度さ、誕生日なんだけど。パーティすんだ。来てよ」
「行かない」
「…さいきん付き合いわるいねー。なに、彼女でも出来た」
「かんけーねーだろ」
ああ、だめ。なにをするの、私の太陽に。利香の光が、目に見えて失われてゆく。やめて、やめてよ。留美奈の叫びは、誰にも聞こえない。
「関係ない? んなわきゃないっ! あんたあたしを避けてる。何なのよ? 何かあるならはっきり言いやがれってんだ」
「なんもねー。っるさい。消えろ」
「なんなんだよ、もう」
肩を落として去ってゆく利香の後姿を見て、留美奈は怒る。近頃の和人を見て、そろそろけりをつけなくてはならないと思った。
「高野くん。ちょっと、いいかしら?」
「ん」
いつものように、生返事をしてしまったのが、運の尽きであった。
「利香のさそいも断るほどお忙しいようだけれど、こんな状態無視できないわよ。申し訳ないけれど、今日、付き合ってくださるわよね?」
一気にまくし立てる留美奈に抗うすべを、和人が持ってなど居るものか。
「は、はい…」
従うしか、選択肢はなかった。

放課後、留美奈は和人宅へ出向いた。太陽は、まだ天高いころ。
「こんにちは、お邪魔します」
「まあまあ留美奈ちゃん、よく来たわね。めずらしい、利香ちゃんは一緒じゃないの?」
「ええ、その利香のことでちょっと」
「あらあら。けんかかしら? まあ、あがってちょうだいな。あとでジュース持って行くわね」
「おかまいなく〜」
利 香のけんかはそうめずらしいことではないらしい。取り立てて慌てることも無く、和人の母親は留美奈を家に上げた。一軒家の二階、6畳ほどの広さの洋室に、 ベッドと机、本棚が突っ込まれている。それが和人の部屋だった。その床に直に座ると留美奈は、さっそく本題について語り始める。
「…高野くん、あなた、何を考えているの」
「何って、何がだよ」
「とぼけるものじゃないわ。利香のことに決まってるでしょう。あなたね、私の太陽かげらして、何か楽しいのかしら?」
「楽しいわけ、ないだろ」
「じゃあ何故。どうして、利香を悲しませる? 何か意図があるなら説明なさい」
留美奈は、和人をにらみつける。和人は口をつぐんで、床を見つめて。話しても良いものか、話したくない、うじうじと悩む。そんな和人に、留美奈は怒る。堪忍袋の緒など、切れっぱなしのままなのだ。
「なに、何言ったってこれ以上動じないわよ。あなたの評価はすでに、たこの入っていないたこ焼き以下だもの」
うわ、どんだけ評価低いんだよ。そう思った和人は、けれどそんなツッコミを出来るほどの立場ではなかった。
「そうだな…。…こわいんだ。きっと」
「こわい?」
「うん。こわい。香野にわかる? 太陽を手に入れられるって重圧」
「え?」
「俺はきっと、お前の言う太陽を手にできるんだ。でもさ、きついだろ。太陽だぞ。手に入れて? そいで、俺は、どうなるんだよ。きっと、失ってしまう。こわく、ないか…」
降りる沈黙。破ったのは、留美奈だった。
「あなたは、失うことがこわいというけれど……今のあなたの行為、どう考えても、利香を失うにつながると思うのよね。そこは矛盾しているんじゃないかしら」
めずらしい、和人のきまりの悪そうな顔。
「わかってる。幼馴染としての利香さえ、失おうとしてる。でも、そのほうがマシなんじゃないか、って」
なにか、切れた。留美奈の本音が、こぼれでる。
「…あなた、許さない。ばかじゃないの。手に入れるのがこわいですって? なんなのよ。私は手に入れられないのに。あなたは手に入れられるのに。それを、 こわいとかいって、勝手に壊すの? 失うのはあなただけじゃない。あなたと関係の無い、ひまわりまで苦しめるというの? そんなの、許さない。……許さな いけど、許さなくても、あなたは利香を壊せてしまうのよ……。たしかに、その重圧が想像できないわけじゃない。でも、そんなの…」
「ごめん。ごめん。ほんと、ごめん」
「あなたしか、居ないんだもの。悔しいけど。あなたしか、だめなんだもの。利香を笑わすのも、泣かすのも、喜ばすのも、怒らすのも、ぜーんぶ、あなたじゃなきゃ、だめなんだもの…くやしい」
「俺…でも…」
「おねがい。私から太陽を奪わないで。死んじゃうのよ。太陽が無くっちゃ」
「でもさ、知ってる? イカロスは、太陽に近づきすぎて死んじゃったんだぜ」
「勇気一つを友にして? あれは、忠告を無視したからでしょう? あなたは気をつければいい」
「気をつける? 近づくか遠ざけるかの二択だよ。近づくんならとことん近づいちゃう。それがこわい」
「いいじゃないの。近づいて近づいて近づいて、羽を失って……死んじゃって。それで何か問題がある?」

「え」
近づいて、近づいて。それで死ぬことの何が怖い。
「でも」
近づけるだけで、十分でしょう。
「だけど」
私は、近づく前に、死んでしまうのに。
「おれは」
――近づいて、近づいて。それで死ぬことの、何が怖かったというのだろう。

「わかったよ。うん。このままでも、ダメだし。おまえのさ、」
「なに?」
「おまえの、太陽。おれにとっても、太陽じゃん」
「そうね」
「でもおれはさ、ひまわりじゃ、いられない」
「そうみたいね」
「うん」

りか、おれさ、――

続く

2008年1月13日 野津希美

あとがき

 太陽、ひまわり、それから。
 文字の上の人物に、文字で表せないものを持たせてみたかった。